200X年、小自墨鈍三郎(こじずみ どんざぶろう)がこれまでどの政治家もためらってきた憲法改正を、前年の総選挙での地民党圧勝の勢いに乗って一気にやり遂げたころから、どうも湿疹が酷い。

戦田突男(いくさだ とつお)81歳、本人曰く、まだまだ元気(なつもり)だ。親父がつけた突男という名前は、連戦連勝の頃だったから仕方が無いとは思っているが、それにしても性のほうは何だこれは?と誰もが感じるだろう。戦争をしに生まれてきたような名前である。だがしかし、突男は小さい頃からひ弱で内気な男であった。突撃なんて絶対できそうにない。完全に名前負けしていた。

親父は日清戦争でロシア兵に斬られてというか、実際は銃剣で突かれて戦死したらしい。死ぬ前に何人ロシア兵を突いたかは定かではないが、突男とは似ても似つかず気性の激しい豪快な男だったらしい。いくら豪快でも突かれたときは痛かったに違いない。兄の弾男(たまお)は日中戦争における南京侵攻のころ、これまた連戦連勝の最中に勢い余って、戦線から飛び出したところを、これまた勢い余って撃ち続けていた見方の大砲が背中に当たって戦死したらしい。のちに作家になった部下が小説に書いていたから、真偽のほどは定かではないが一族はみなそう信じている。弾男は名前を恥じていた。漢字で書けばまだいいのだが、「たまお」と呼ばれると、近所の玉緒おばさんがよく返事をしていたものである。声に出すと女の名前なのである。子供の頃はガキどもからよく冷やかされたものだった。その反動か、いつも弾男は思っていた「俺は男だ、戦争に行ったら鉄砲玉になって突っ込んでやる!」 そしてその通りになったのであった。

弾男が戦死したことを知らされた時、母親の静香は泣き崩れた。学校の先生を呼びに行こうかと思ったくらい激しくのた打ち回った。きっとこういうのを「壊れている」と言うのだろうと、子供ながらに突男は思った。。。
ロシア カザフスタン北 57年9月 チャリビンスク州 マヤーク
にて核k貯蔵施設の冷却タンクが爆発した ウラルの核惨事
近くのオゼークとともに 核閉鎖都市
チャリビンスク65と呼ばれた